1930(昭和5)年に竣工した上垣病院の建物は約3年間の歳月をかけて
工事が行なわれた。昭和初期、この地方には死者を何人も出すほどの悪
性の風邪がはやり、地域の方々から「和田山に病院の誘致を」という声が
高まり、以前開業医の経験をもつ、上垣新吾医学博士(故人)と医師で弟
の直道氏に病院開業に強く要望された。とことん実行する性格の持ち主の
新吾氏は最新の医療器械を整えると共に建物も洋風を選んだと聞く。
建物は中央の優雅で気品のある正面玄関を中心にシンメトリーの建物。
日本瓦葺きの屋根に外壁はモルタル洗い出し。腰は波型をしたモルタル
洗い出し。少し桜色の1階の窓は上げ下げ窓を間隔よく配置し、2階は引
き違いの窓と不釣合いにならないよう上品に仕上げられている。実際に
この建物を作るために、この地域の大工さんが東京に下見に行って作ら
したと聞いている。(つどい8月号より抜粋)