■ 鎧漁港とJR鎧駅
JR鎧駅 明治45年3月1日 開設
幼い日に母に捨てられた兄と妹は、それぞれ、自分の深い想いを持って海岸列車に乗り鎧駅を訪ねる。宮本輝の小説「海岸列車」(文春文庫)
「駅から入江への急な斜面には、かつてサバ漁で賑わった鎧港の名残として、錆びて風化した鉄のレール敷きだけが一直線に下りている。陸あげしたしたサバを列車に積み込むためのケーブルの残骸であった。その横に、村へと下りていく折れ曲がった錆色の道がある。列車の車輪とレールとが撒きちらす鉄粉によって色を染めた道は、ほんの数十メートルで、黒ずんだコンクリートに変わるのだが、かおりは、その道の錆色の部分しか歩いたことはない。」
餘部駅に比べひそかに旅人に安らぎを与える鎧駅。駅から見る風景に人それぞれ思いがあるようだ。
「錆びて風化した鉄のレール敷きだけが一直線に下りている。」というケーブル跡
▼2004年1月撮影
▼ 発電所の名残の建物
▼ 発電給水のための施設なのか? ブッシュで覆われ、わかりにくい
▼2004年1月の撮影 円形の綺麗な煉瓦の施設
▼ JR鎧駅から餘部駅に向かうトンネルより
餘部駅 昭和34年4月16日 開設 明治45年から昭和34年まで餘部の人たちはトンネルをこえて
鎧駅まで歩いていた
「余部駅が出来るまではここから徒歩でトンネルを4つ越えて余部へ行きました。トンネルの中は滑りやすいので、祖母の編んだわらじにはきかえ、懐中電灯を各自が持って、まだ煙の匂いの残るトンネルに入っていったものです。餘部の人は列車の時刻を熟知していて、汽車が来そうなときは、トンネルの前で通過するのを待ちました。」
キノサキの橋より