■ 豊岡カトリック教会
建築年月日 大正11年8月竣工 場所 豊岡市妙楽寺
設計 不明 施工 大阪橋本組 工事費 10万円
元
中江種造氏 の別荘 現在 教会
昭和25年に土地・建物を豊岡市が譲り受け、さらに翌年昭和26年には豊岡カトリック教会が購入した。
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妙樂寺の別荘
豊岡町妙樂寺の黄葉綠樹が丘に、舊八條の碧蕪疎林を遙かに見晴らし、夏は翠滴る新綠と涼風に包まれつゝ、冬は晴雪と夕陽の美をその窓外に擅まゝにしつゝ。そこに一構えの瀟洒な洋館建ての別莊が建つてゐる。
この別莊の敷地を翁が買ひ取つたのは、明治三十二年の八月であつた。その後、同三十三年の六月、地均工事に着手、その洋館建築の基礎工事に取りかゝつたのは、大正十年の六月、かくて同年七月上棟式、同十一年八月竣工、爾來昭和三年八月まで、翁は春秋に必ず歸つて來て、この別莊で數週間滞在、その心身を休養するを例にしてゐた。
河本重次郎博士はその稿本中江種造傅につぎの如く書いてゐられる。
叔父は、豊岡町妙樂寺に一つの別莊を所有してゐる。その敷地は、叔父が自分でこれを選定したもので、恐らくその當時は、前に鐵道線もまだ敷設されてをらず、その眺望も非常に佳きところであつたのである。元來あのところは、溜池のあつたところで、黑ずんだ水が湛へてをり、隨分薄氣味惡いところであつた。叔父は、その池底を固むるため、何十本かの松の木を縱に打ち込み、そのために隨分費用が嵩んだ。いよいよ建築の出來上がつたのは、よほどあとで進歩甚だ遲く、時としては工事も二三年休むといふほどであつた。最後に、大阪の橋本組に依頼し、現在の大洋館が漸く出來たのであつた。その工費は拾萬圓であつたと記憶する。なほその建築の完成するまでは、叔父は邸内の一隅にあつた假小屋に起居して居た。 (中江種造氏伝より)
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外部
アプローチ出入り口より
側面
正面
内部より庭の池
内部からのアプローチ
アプローチの飛び石には玄武岩が使われている。
内部
玄関よりホール
ホールの梁にあるデザイン
一階 応接室
一階 会議室
一階 前室
階段
踊り場のステンドグラス
▼ これは本物かどうかわからない。教会が購入後掲げたものだと思う。
▼ 建設当時からのものと思われるステンドグラス
二階 会議室 和室になっている。
玄関ホール 窓
上部のステンドグラス
大阪橋本組
次男、豊次郎は明治40年 単身渡米、土木建築学を学ぶ。大正9年帰国後、橋本組九州出張所に在住。
大正6年、豊次郎は 山谷多満((後の橋本多佳子(俳人))と結婚。 大正7年 九州小倉市に転居の後、大正九年、小倉市中原に
櫓山荘(ろざんそう)を新築。ロマンチスト豊次郎の自画像といっても良い、英国の中産階級の家庭を描いて、彼が設計した。 大正11年、高浜虚子が櫓山荘に立ち寄る。句会で杉田久女を知る。・・・・・
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大正 9年 櫓山荘 新築
大正10年 中江種造氏 別荘着工(現、豊岡カトリック教会)
時代が同じ。 何か関係がないかと一年前より一人で探っている。
アプローチは、にかよっているといえば・・そうなんだが・・・いまだに確信がもてるものがない。