■ 夢テーブル委員会2006年7月例会
7月8日(土) 10:00~17:00
参加者 夢テーブル委員 田中 渡邊 中尾
一般 永井
行政 西脇 永松 船谷 小西
見学場所 香住~浜坂~香住
AM 桃観トンネル 久谷の八幡神社 久谷のJRトンネル群
PM 居組駅 居組のめがねトンネル 釜屋三柱神社 田君川橋梁 西光寺 福富の三柱神社
三尾隧道 御崎灯台
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本日の面々
■ 桃観トンネル
香住駅集合後餘部鉄橋を簡単に通り過ぎ、本日メインの桃観トンネルに行く。
入口に着くと後はヤブの中に隠れるように歩く。
▼ 入口より東側を見る
▼ ヤブ漕ぎの中を行くメンバー。別に踊ってるわけではないが手を上げている。
50mも歩くと桃観トンネル東側入口
▼ 坑門の柱型がないことを説明
▼ さらに奥に進む。まさに藪の中
100mほど歩くと水路に付く。煉瓦造のきれいなアーチである。
▼ アーチの水路
東側はこれ以上進めないため引き返す。途中くるみの実を見つける。
▼ クルミの実
▼ 国道から見る東側の排気塔
さて、次は桃観峠を越えて西側にある排気塔をめざす。ここより長靴を履く。
▼ 15分も歩くと排気塔に着く。 準備がよく脚立を段取りして中をのぞく
▼ 桃観トンネル西側出口。石額をみる。また、坑門には柱型があることを説明。
実は東側入口は建設以後新たに造りなおされている。当初は柱型があった写真が残っている。
このことは
但馬の近代化遺産の桃観トンネルを参照のこと。
■ 久谷八幡神社の中に『鉄道工事中/職斃病没者/招魂碑』と刻まれた石碑
■ 久谷のJRのトンネル群
築堤された場所なので多くの生活用のトンネルが築かれている。
食事後居組を目指す
■ JR居組駅
▼ 財産標(明治44年とかかれている)
■ 居組駅東側にあるめがねトンネル
和田口のめがねトンネルよりも大きい
■ 釜屋の三柱神社の煉瓦塀
煉瓦が均一でもないしつみ方が粗雑。地元の人が積んだのであろうか??
■ 田君川橋梁
■ 浜坂西光寺の塀
ここの煉瓦塀はきれいに積んである。フランス積みが下部にある
覗き込む
■ 福富の三柱神社
ここは浜坂から久谷に石や煉瓦を送る(トロッコ)場所で鉄道工業有志が唐獅子一対を寄進している。といっても境内の中にあるアカメヤナギの大木のほうが興味がある。
■ 三尾隧道
内部は石の上にモルタルが吹き付けてあった
▼ 竣工記念の石碑(昭和26年と刻まれている)
■ 但馬御火浦 林道三尾御崎線を行く。
▼途中休憩 浜坂の中には船で田に行く場所もあったという話を聞く面々
■ 餘部御崎灯台 最初は昭和26年建設されたが昭和60年に現在の灯台になった。
▼ 案内板(クリックすると大きくなります)
▼昭和26年の台座
内部のレンズやそれを受けている台座も昭和26年のものである。
レンズや台座は5月の灯台の日に一般公開されています。
■ 香住のO邸 昭和30年竹野桑の本の三輪邸を移築したといっておられた。
ここで本日は終了
次回は8月19日(土)です。
■ 夢テーブル委員会2006年6月例会
6月10日(土) 10:00~18:00
参加者 夢テーブル委員 三輪 三輪 渡邊 米田 中尾
一般 松井 永井 西垣
行政 佐々木 船谷
見学場所 豊岡~竹野~香住~瀬戸~城崎
AM 建徳会館、神武山配水場、円山川橋梁、森本中学校。
PM ○○邸、細田邸、竹野川橋梁、北前船のそばにある道路の碑文、浜須井の隧道
小さな隧道、安木のレンガ塀、瀬戸の台場、港橋、導流提、二見水源地、JR橋台跡
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本日の面々
■10:00 豊岡総合庁舎集合
今回は委員会より今日の資料、てっちゃんマニアのNサンから鉄道の資料、土木関係のSさんから道路の資料をいただく。皆が資料を持ち寄るのがすごい。
最初は建徳会館
■ 建徳会館(豊岡尋常中学校本館 明治29年)県下で2番目に古い中学校
詳しい説明は「
但馬の近代化遺産 建徳会館」を参照
▼ 全景
▼和魂の碑
▼旧豊岡中学校校章
▼旧豊岡高等女学校校章
■ 神武山配水場(大正11年)中江種造氏が工費33万円拠出してできた。
▼ 全景
▼ 周囲の塀はレンガで作られていた。中江種造氏のレンガ工場で作られたレンガだろうか?
■ 円山川橋梁(タンゴ鉄道)
■ 森本中学校校舎(昭和28年)
現存する木造校舎で現役で使われているのは森本中と八鹿高校大屋分校(昭和32年)だけである。
■ ○○邸
■ 細田邸(庭園が豊岡市指定文化財)
▼ 全景
▼ 手動式の水中銃が玄関先に掛けてあった。
▼ 市指定文化財の庭 この庭をみながらお茶をいただいた。おいしかったです。
▼船の石 池の水が少ないときは中の石が船のように浮き沈みする。
■ 竹野轟の郵便局(前身は何の建物だったのだろうか?)
■ 竹野川橋梁 詳しい説明は「
但馬の近代化遺産 ラチス橋」を参照してください。
▼ 日本で3つしかないラチス桁の橋梁
▼ 話題は上部のラチスより下部に残っている松杭のほうの話になる。
▼ 結論は橋脚の補強工事で水をせき止めた松杭が露出して残っている。という結論に達した。
■ 竹野海岸の石碑について
▼説明するSさん。
昔は自衛隊に頼んで道路を作っていただいた。昭和29年から平成4年度までに39箇所でおこなわれた。但馬海岸道路は昭和39年度から40年度。第二但馬海岸道路は昭和45年度から昭和47年までおこなわれた。この道路のおかげで陸の孤島といわれた地区の孤立化を解消するなど重要な役割を果たしている。またこの道路をたたえる碑が平成13年に除幕されたがことも意味が大きい。現在は高速化の道路もすすんでいるが、ゆっくりと走れる道路のPRもやっている。 (あまりにも簡単です。すみませんSさん)
▼その石碑
▼説明文(写真をクリックすると大きくなります)
■ 浜須井の隧道
JRの下の道路。幅4.64m高さ3.28m 大きな隧道だが幌のトラックは幌が当たって通過できない。宅急便の人は歩いて荷物を運ぶ。見かねて車を貸してあげたこともあると地元の人は言っていた。早く直してほしいとも言っていた。
▼ 全景
▼ アーチのレンガと下部にある石 キーストーン(要石)だろうか?。いやいや台座か?
■ 名無き隧道
浜須井から安木までの間にある小さな隧道
幅1.2m 高さ2.2m。夏場は草で存在すらわからない。
▼ 北側入口 小さな隧道だと思ってみると
▼ 出口は高さがあった。ようは土砂が堆積して入口側は埋まって低くなっている。
▼ これも要石なのだろうか?小さくてもちゃんとあるのが面白い
■ 安木地区のレンガ塀
安木地区にはレンガ塀の家が数件ある。これは山陰線の工事(明治43年ごろ)で浜に陸揚げされたレンガの残りで造ったといわれている。
▼ ○○邸 昔は北前船で富を得た大きな豪邸。いたる所にケヤキが使用してある。
母屋は江戸期、新しい部分は大正につくられた。日本各地の材料を使用してある。
▼ 玄関左右にある大黒柱と小黒柱 共に尺(30cm)
▼ 庭を見せていただく
▼ ご主人が説明してくださった。
▼ レンガの刻印
▼ もう一軒 別の家のレンガ塀 異国情緒たっぷりの不思議な世界
▼ 村中のレンガ塀
ここで16:00 時間がないと引き返す。
■ 次は瀬戸の台場をさがす。といってもわからないのでそれらしいところで見たということにする。
▼ たぶんこんながけ地にあったのだろう。
■ 瀬戸の港橋 新しい橋と古い橋が二つある。
▼ 港橋 昭和3年架設
▼ なぜか中央部だけ幅員が狭くなっている
なんでだ?後からつくったのか?などといいながら考えると、さすが土木のSさん。逆梁といいだした。あっと・・なるほど。中央の手すりは高覧ではなく梁なのである。
▼ 中央の手すりは実は梁なのである。下を船が通るため後から造り替えた。中央部の道路下には梁がないことがわかる。
▼ 近くの公民館にできた当時の写真があった。できた当初は同じ形状だということがわかる。
■ 導流提 円山川の水の流れを海に導くもの 昭和20年代か?
50m間隔にポールが立っている。昔は瀬戸から導流提まで(約300mぐらい)泳いでわたったと地元の人はいっておられた。このあたりの河口際は台風23号の時にはつからなかったらしい。むしろ上流部のほうがつかった。なぜなら出口は海の波や風でせき止められ川の水は逆流して水の一番多く溜るのは沖ではなく沖から離れた場所ということも教えられた。
▼ 導流提
▼ 階段石とだんご石
石を階段状に加工して見張りにつかわれたらしい。
だんご石は船のロープをかけるとために造られた。
■ 最後の見学場所 二見の水源地
二見(城崎)から朝見た神武山の配水場まで水が導かれ豊岡市民の上水として使われている。
と簡単に書いたが大正10年には施設ができたのだからすごい。なんといってもその距離は数キロもあり自然の力では無理。神武山配水場は山の中腹にあり受水井からポンプを使って揚水し配水場全町に給水。その容量50万キロリットルで人口15000人の給水量の8時間分を貯水することができた。
▼ 二見水源地
▼ 吐水口上部には石額がある。
▼ 橋の上にあった説明文(写真をクリックすると大きくなります)
■二見の橋台跡
なぜか橋台跡。場所が玄武洞駅近くなので昔玄武洞駅から渡し舟で玄武洞を見学に行ったころにぎわっていたため複線だったのだろう。
ここで18:00 最後までごくろうさまでした。いろいろと勉強になった一日でした。
次回は7月8日(土)浜坂方面にゆきます
■ 夢テーブル委員会2006年5月例会
5月13日(土) 10:15~17:00
参加者 夢テーブル委員 三輪 出田 福岡 中尾
一般 谷本(講師) 永井 藤田(倹) 藤田(孝)
行政 佐々木 西脇 前澤 永松 船谷
見学場所 八鹿町
AM JR八鹿駅及び跨線橋 小出医院 甘棠邸 旧橋本邸 新田開発水路 神社の中にある忠魂碑(砲弾)
PM 浅倉隧道 青谿書院 宿南邸 ○○邸 グンゼ八鹿工場 八鹿の町並み散策
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本日の面々
■ JR八鹿駅 跨線橋
▼ 跨線橋を見る
■ 小出医院
▼ 本日お世話になった谷本さんと小出奥様 地元の藤田倹二郎先生
▼ 小出医院 昭和3年
▼裏側
▼ 細かいデザイン
▼ 勝手口のポーチ(円形)
▼ 庇の方杖
▼ 甘棠邸(県指定) 裏側より
▼ 内部
▼ 細かいデザイン
▼ 甘棠邸裏庭
▼ 玉石を使った井戸
▼ 小出医院本宅
■ 旧橋本邸 (伊佐ふれあい倶楽部)
▼ 藤田先生の話を聞く
■ 水田開発のために造られた水路
■ 神社の中にある忠魂碑(砲弾)
昼食
■ 浅倉隧道
■ 青谿書院
■ 宿南邸
■ ○○邸
ここで会議中の佐々木さんが出てくるのを待つ。コヒーをいただいてしまった。
■ グンゼ八鹿工場
■ 八鹿町内散策
▼ 新町橋
▼ 散策風景(だんだん寄り添っていることがわかる)