■ ラチス橋
日本に3つしか残っていないラチス橋。のそのうち二つが但馬に残っている。
■ 竹野川橋梁
▼ 近くに行くと立派な縦看板
明治44年、山陰東線、和田山、福知山間及び城崎、香住間開通。当初はプレートガーターだった(明治35年)大正9年にラチス型に架設。
兵庫県豊岡市
1919年(大正8年)竣工
山陰本線 城崎-竹野間 単線
上路ラチスガーダー 19.2m 1連
▼ 近づいてゆくとラチスの橋梁が見える
ラチス桁橋梁大正7年10月の大洪水で堤防が切れ2連が流出したので、川幅を広げ2年後にラチス桁を架設したのです。なぜラチスを採用したか。当時日本では大型の鉄製品を造れず、第一次大戦で大形鋼板の輸入も難しかったからです。部材がリベットで結合されたのも人件費が安かったからこそ。今では不可能に近い
▼ 根元には松の杭が残る
▼ 見上げ
▼ ラチス橋のアップ
▼ 対岸からの遠景
▼ 大正7年の風水害より
■ 田君川橋梁
竹野川橋梁に比べ文献も少ない。規模はさほど変わらないのだが、、アプローチが悪いのかもしれない。
兵庫県浜坂町
1912年(明治45年)開通
山陰本線 久谷-浜坂間 単線
上路ラチスガーダー 19m 1連
▼ 全景
▼ ラチスアップ
バイガモの群生で有名な田君川だがラチス橋には誰も群がらない。
■徳佐川橋梁
山口県にあるラチス橋。但馬の竹野川橋梁、田君川橋梁と日本では3箇所しかないラチス橋。
橋を一生懸命調べておられる
後藤さんの許可を得てUPさせていただきました。
日本にあるラチスの橋が完成です。
山口県阿東町
1922年(大正11年)竣工
JR山口線 徳佐-船平山間 単線
上路ラチスガーダー 16.0m 1連